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2006年11月 1日 (水)

宗教的背景の違いは乗り越えられるのか?

ローマ法王の発言がイスラム世界で批判されるということがあったことだけは知っていたが、その具体的な発言や、それにイスラム世界がなぜ反発するのかについては、具体的な知識は持っていなかった。

西欧キリスト教世界が繰り出した十字軍については、現代の歴史認識では「悪」とされ、先代のローマ法王も謝罪を迫られた。一方で、イスラーム教徒の側の征服は、イスラーム今日への改宗をまず要求するという「正当な手続き」を踏み、それに従わない「不当な」勢力を討伐していった正しい行ないとされる。謝罪どころか、宗教の敵を妥当したものとしてイスラーム諸国で認識され、教えられ続けている。
これについて異教徒の側から言及することは、イスラーム教徒との「対話」においては禁句である。・・・・・ローマ法王は、「率直な対話」のあるべき姿として、この問題にすらも触れられるようにならなければならない、という希望を、自分自身の言葉ではなく、14世紀のビザンツ皇帝の言葉を借りて表明する。
ローマ法王の発言は、イスラーム教徒異教徒との関係をめぐる問題の核心を衝いている。・・・・・

良く読めば、もともとの双方の認識に対称性がないわけだ。これでは対話が成り立つわけがない。イスラム側の主張は、「はじめに改宗を求めていればその後は何をしても良い」ということであり、この論理では中世ヨーロッパが植民地支配のためにカトリックの布教活動を利用したことも、正当化されることになるではないか。

結局のところ、イスラーム教の圧倒的多数の解釈において宗教的な自由主義がほとんど存在しない現状では、キリスト教徒側からの批判的問いかけに応えて対話が成立することは予想できない。単に「誤謬」として撤回を求められるか、「確信犯」の「攻撃」とみなされ懲罰を科されるかのいずれかである。・・・・・
・・・・・ローマ法王発言に対する西欧諸国の世論の支持は底堅い。「政治的配慮には欠けたが、事実を言った」というのが西欧の反応の最大公約数といえる。
・・・・・
・・・・・これはトルコのEU(欧州連合)加盟に対する根強い否定的世論を根本で支える認識でもある。

トルコやインドネシアが非常に親日的ということもあり、私の世俗主義のイスラム教国に対するイメージはかなり好意的なものだ。日本人ならイスラム教であることを理由に拒否反応を示すことはまずないだろう。相手国も日本に対してまずまず好意的であるが、これは日本が仏教国(一応)であると関係があるのだろうか?
それを西欧に当てはめてみたときに、イスラム教国側が本当にキリスト教国というだけで西欧に反発しているのだろうか?
私にはそうは思えない。世の中の成り立ちが、西欧のキリスト教国がイスラム教国家ら何らかの搾取をした結果である、という基本認識が暗黙的に存在している限り解消されることはないような気がする。これは絶望的だ。

ローマ法王発言からちょうど1ヶ月の10月12日にノーベル文学賞が発表された。受賞者はトルコ人のオルハン・パムクであった。
近年のノーベル文学賞は、政治的メッセージとしての意味合いが色濃い。・・・・・
この状況下でのパムクへのノーベル賞授与は、東西の「架け橋」となりうるトルコの西欧派知識人へ、西欧の知識人から期待を表明し、支援の手を差し伸べたものといえる。ただし、その「手」はあくまでも橋を渡って(ヨーロッパにとっての)「こちら側」に来たパムクに差し出されている。

参考:フォーサイト2006年11月号22ページ

なるほどノーベル文学賞にはそういう意味があるのか。政治的なのは平和賞だけではないんだ。これでは、村上春樹が受賞することなどあり得ないなあ。

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